こだわり専科34

接遇の―――――――
こころ




 目に見えない「こころ」は、形となって態度となって、一つひとつの「しぐさ」のなかに現れます。
 まさに、こころと態度は一体のものだと、最近深く考えるようになってきました。
 テクニックの指導に走る傾向が強い接遇研修は数多くありますが、やはりその前に「こころを磨く」「こころを鍛える」「こころに響く」ことが目的であることを忘れてはならないと思います。
 目に見えない「こころ」が先にあり、言葉の使い方、表情、しぐさすべてが、内面にある「こころ」を相手に伝えるための手段として使う物なのです。
 人はそれぞれ、自分の物差しを持ち、その物差しでもって自分の周りに起きた事柄に対応しています。
 環境が良く似た者同士での付き合いであれば、あまり問題は起きないのですが、違った環境で育った人達と付き合う場では、自分がこう思うから相手も同じように思うだろうと安易に考えると、失敗するケースがよくあります。
 イソップの寓話にある「ツルとキツネ」の話をしましょう。
 ツルはキツネを自宅に招き、ご馳走を用意しました。ご馳走は深い筒状の器に入れて出しました。長いくちばしをもたないキツネは、一口も食べることはできません。
 キツネもツルにご馳走を出します。出されたのは、お皿に盛られたスープでした。ツルはお皿をくちばしでつつくだけで、スープを飲むことはできませんでした…。
 お互いに一番の好物で「もてなし」たのですが、お互いに食べることも飲むこともできなかったというわけです。私たちの生活のなかにも似たようなことがありませんか?
 自分では相手のためによかれと思った行為が、相手に通じなかった悲しさ、むなしさ。なぜか――。それは、自分本意の考え方を押し通し「相手の立場を思いやる」という物差しを忘れたからにほかなりません。
 接遇の「こころ」を考えるとき、もう一点、注目していることがあります。
 最近、ホスピタリティ(hospitality)という言葉をよく耳にします。
 日本語では「歓待・厚遇・親切」と訳されますが、そもそもホスピタリティの語源は「ホスピス」にあります。
 ・ホスピタル[hospital]病院
 ・ホテル[hotel]旅館(日本では西洋の旅館)
 ・ホスト[host]客をもてなす主人、主催者
 ・ホステス[hostess]客をもてなす女主人、女将
 これらの共通項は「こころを込めて人に接する」ということです。例えば「心を込めて看護する」「心を込めてお客様を迎える」…とう具合です。「心を込める」という点において接遇とホスピタリティの間には、興味深い関係性があるのです。
 接遇には、自分のやるべき仕事を通して、不特定多数の人々と出会い、その出会いのなかで相手に不快感を与えない気配りやマナーが求められます。つまり、人的行為によってお客様の欲求を満たしてあげるという点において「ホスピタリティ」と同じといえます。
 接遇における「こころの込め方」は、訓練のみで身につくものではありません。また、自分以外の誰かが教えてくれるといったものでもないのです。
 こころとか、気持ち、精神といった内面的なものは、自分自身で身につけていくしか方法はありません。しかし、それは「自分を高めるこころ」を持っていれば可能なのです。
 人は誰でもこころを持っている。
 こころは「自由」だ。
 こころとは自分の意志ですべて決められるもの。
 こころ弾ませて必死で生きればいい。
 自分をごまかす、言い訳探しなどせずに――。
  これは、私がときどき自分自身を戒めるために反すうする言葉です。接遇訓練インストラクターとして、日々、こころを込めることやこころを磨くことの大切さを訴えている私でさえ、毎日の暮らしの中では、自分の心をごまかして安易な道を選びそうになることがあります。でも、他人のこころは変えられないが、自分のこころだけは自分の意志で変えることができると、自分を奮い立たせています。
 人は誰でも、自分をカッコ良く見せようという願望を持っています。私はこれも自分を磨く上で必要な心理状態だと認めています。少なくとも、自分をよく見せるために「学び」「努力」し「工夫」する。これが自己成長となるのであれば大いに結構ではないですか。
 相手を思いやるこころを伝えるために、思いやるこころを自分のなかに育てるために。さあ、貴方は何からはじめますか。